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大阪高等裁判所 昭和60年(ネ)1530号 判決

一審原告(一四八八号事件控訴人、一五三〇号事件被控訴人)

北川秀司

右訴訟代理人弁護士

川瀬久雄

一審被告(一四八八号事件被控訴人、一五三〇号事件控訴人)

岡野敏彦

右訴訟代理人弁護士

辛島宏

主文

1  一審原告の控訴に基づき原判決を左のとおり変更する。

(一)  一審被告は一審原告に対し二〇二六万五一二八円とこれに対する昭和五七年五月二日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  一審原告のその余の請求を棄却する。

2  一審被告の本件控訴を棄却する。

3  訴訟の総費用はこれを三分し、その一を一審原告の、その余を一審被告の負担とする。

4  この判決は1(一)にかぎり仮に執行することができる。

事実

一審原告は一四八八号事件につき「原判決を次のとおり変更する。一審被告は一審原告に対し三〇〇〇万円とこれに対する昭和五七年五月二日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は一、二審とも一審被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、一五三〇号事件に対し「本件控訴を棄却する。控訴費用は一審被告の負担とする。」との判決を求めた。

一審被告は一四八八号事件に対し「本件控訴を棄却する。控訴費用は一審原告の負担とする。」との判決を求め、一五三〇号事件につき「原判決中、一審被告に一一〇〇万円を超える金額の支払いを命じた部分を取り消す。右超過金額にかかる一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は一、二審とも一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は左のとおり附加するほか原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

(一審原告の主張)

1  一審被告は、一審原告が本件事故後に住友特殊金属株式会社に就職したこと等を指摘して一審原告には本件事故による逸失利益は存在しないと主張しているが、首肯できない。

なるほど、最高裁判決中には交通事故により軽微な後遺障害(一四級一〇号)を残す研究所勤務の通産技官(公務員)で職業柄現在将来とも減収の認められない被害者について労働能力の一部喪失を理由とする財産上の損害は認め難いとしたものがあるが(最高裁昭和五六年一二月二二日判決民集三五巻九号一三五〇頁)、この結論はいわゆる労働能力喪失説によつても同じであつたと考えられる。むしろ、この判決の意義は従来とられていたいわゆる差額説の立場(最高裁昭和四二年一一月一〇日判決民集二一巻九号二三五二頁参照)を一歩踏み出し、一定の場合には、労働能力喪失説またはこれに近い立場から、たとえ現実の減収がなくても逸失利益の存在を肯定しているところにある。すなわち、前記昭和五六年判決によれば、事故による減収のないことが本人の特別の努力による等事故以外の要因による場合とか、本人の現在及び将来従事すべき職業の性質に照らして昇給、昇任、転職等にさいし不利益な取扱いを受けるおそれのある場合には労働能力喪失による財産上の損害の存在を認めていることが明らかである。

しかるところ、一審原告の再就職先は公務員のような身分保証のない民間会社であり、身分もいわゆるブルーカラーである。また、後遺障害の程度も八級の重度で機能運動障害が器質的なものであり永久的なケースである。給与面でも将来の不利益は明白である。したがつて、当然逸失利益が認められるべきである。現に、一審原告の仕事は立仕事で三〇分ぐらい続けると耐えられなくなり、そのさいは勤務先の好意で丸椅子で休み辛じて仕事を続けている。このことは勤務評定上明らかにマイナスで、昇給昇任にさいしての不利益の蓋然性は極めて高く、体力のおとろえる中年以降は、ついには退職のやむなきにいたる可能性もある。

一審被告の付保する東京海上火災は、表面上は被害者救済をいいながら、実は一審原告の努力にいわばただのりして保険金の出損を免れようとしている。もし、本件において一審被告のいうような論理を押し通せば、自営業等所得の把握し難い被害者、就労意欲なく漫然徒食する被害者の方が損害賠償上有利となり、正義衡平の見地からも到底耐えられぬ不合理な結果となる。

2  〈省略〉

(一審被告の主張)

1 一審原告には本件事故による逸失利益は生じていない。すなわち、一審原告は事故後不幸にして後遺症を残したがこれも徐々に回復し、昭和五九年一一月一日一部上場の大企業である住友特殊金属株式会社に試用社員として採用された後、翌六〇年五月一日からは正社員に登用され同社の山崎製作所製造部加工品課に在籍して機械装置オペレーターとして正常に稼働しており、その給与は昭和六〇年六月から一一月までの六カ月間をみても一カ月平均一七万三九五六円であつて、事故前勤務していた明倫産業株式会社(武道具専門販売を業とする従業員約三〇名の弱小企業)で得ていた昭和五七年二ないし三月の給与の一カ月平均一一万一九〇三円に比し約一・五五倍になつている。このような事実と住友特殊金属が住友系の大企業であつて、給与体系、退職金制度その他福祉厚生等の全ての面で安定していることを考えると、一審原告については遅くとも昭和六〇年五月以降将来にわたつて本件交通事故による逸失利益は零になり、問題は解消したと解すべきである。最大限譲歩しても、当初の五年は四五パーセント、その後の一〇年は二五パーセント、その後の二〇年は一五パーセントの減収とみれば十分であると考える。一審原告の後遺障害等級八級も各部位の症状(一〇級一〇号一カ所、一二級七号二カ所)を併合して便宜認定されたもので、右等級が現実の一審原告の労働能力の喪失の実態をあらわしているわけではない。

賠償の対象となる逸失利益は蓋然性の高い現実のものであることが必要でありかつそれで十分である。十分な救済は保険制度の目的であるが、過大な保険金の出損はこれを支えている個々の市民に過大の負担を与えることになり、正義衡平の実現も健全なバランス感覚によつてなされるべきである。

2 〈省略〉

理由

第一本件交通事故に関する一審被告の損害賠償責任

一審原被告が昭和五七年五月二日午後九時三分頃一審原告主張のような交通衝突事故を起こしたことは当事者間に争いがなく、また、右事故につき一審被告が一審原告に対し自賠法三条所定の責任を負うものであることも一審被告の自認するところである。

第二一審原告の蒙つた損害

1まず、一審原告が本件交通事故によつて蒙つた傷害の部位程度、治療経過についての認定判断は原判決説示のとおりであるからこれをここに引用する(原判決七枚目表二行目から六行目まで)。

2また、一審原告がこれによつて蒙つた損害のうち(A)治療関係費相当損害金と(B)逸失利益相当損害金のうち休業損害分についても、当裁判所は原判決の認定判断を相当と考えるからこれをここに引用する(原判決七枚目表七行目から同九枚目表一一行目まで)。

そして、以上によると、右各項目にかかる一審原告の蒙つた損害額は、(A)治療関係費として(1)治療費分四三万円、(2)入院雑費分二七万四〇〇〇円、(3)入院付添費分二二万七五〇〇円、(4)通院交通費分七万五六〇〇円がそれぞれ認められ、また(B)逸失利益として(5)現実の休業損害分三六三万四五〇〇円を認めることができる。

3そこで、次に(B)(6)将来の逸失利益相当損害の存否及びその金額について検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められ、これを左右する証拠は他にない。

(1)  一審原告は前記のとおり昭和五八年末併合認定八級に該当する左足関節の著しい機能障害等の後遺症を残し本件交通事故による病状は固定したが(走行と正坐が不可能。歩行は上り道はよいが下り道は困難)、従前勤務していた明倫産業には復職せず、翌五九年三月三〇日付をもつて退職し、なお療養につとめたが、やがて、同年一一月一日職業安定所の紹介で、幸い自己の経歴(昭和五六年三月茨木工業高校機械科卒業)を活かし住友特殊金属株式会社に試用社員として採用され、同社山崎製作所製造部加工品課に配属され、以来電算機用ボイスコイルモーター等の部品機械加工職場で機械装置オペレーターとして勤務し、昭和六〇年五月一日には正社員となり、今後とも同社で勤務したい考えである。

そして、右住友特殊金属は一部上場の大企業で、給与、退職金等に関する労働協約等も締結されている安定した職場であつて、今後一審原告は六〇才定年まで一身上に特段の事情が生じないかぎり引き続き同種の職種の勤務を継続しうる蓋然性が強い。

(2)  一審原告はこのようにして住友特殊金属に勤務することにより少くとも過去将来とも事故前勤務していた明倫産業勤務の場合より高額の収入を得られるようになつたのであり、例えば正社員になつた昭和六〇年五月から一一月までをみても月収一六万三七二〇円ないし一八万三一九六円を得たほか、同年六月には賞与として別途二四万二九〇〇円も得た(なお、賞与は年四カ月分と一応されている。)。

(3)  しかし、他方、一審原告の仕事は現在立ち仕事が建て前になつており、そのため午後になると前記後遺症による足のしびれが強くなり一時間間隔毎に椅子に坐り休憩する必要が生じる状況で、将来についての不安を否定しきれず、現在の就労自体についても健全な者に比し相応の忍耐と努力が必要であると考えられる。

以上の事実関係によれば、まず、一審原告は昭和五九年一月一日(病状固定の翌日)から同年一〇月末日(住友特殊金属勤務開始前日)までの間すでに病状が固定し特段の治療の必要をみなくなつたため従前どおりは無理であるとしても、相応に就労して一定限度の収入を得ることができたといわざるをえないところ、結果としては、特段の就労をしなかつたことが明らかで、いま以上のことを前提として一審原告の右期間中の逸失利益を算定するについては、先に認定した事故なかりせば得べかりし明倫産業からの収入金額を基準としてこれに一般的な労働能力喪失率(昭和三二年七月二日付基発五五一号労働省労働基準局長通牒参照。一審原告の場合はその八級の後遺症状に照らし45パーセントの喪失)を乗じた額を月毎ホフマン方式によつて中間利息控除するのが相当で、他にこれよりその蓋然性において優れた算定方法は見出し難い(なお、右期間はすでに過去の期間ではあるが、本件の附帯損害金起算日が不法行為の日である昭和五七年五月二日として請求されていることからすると、前記中間利息控除はなお必要である。)。そうすると、一審原告の右期間の逸失利益は計算上六二万〇三七〇円となる(ただし、計算の都合上昭和五九年八月に支給されたと予測される賞与三七万円は一〇カ月間に均分して支払われたものとする。)。

(11万5500円+8万7000円)×0.45×(28.21−19.17)=62万0370万

次に、一審原告が住友特殊金属に就職した昭和五九年一一月一日以降将来にわたる逸失利益について検討するに、前記認定事実によれば、一審原告は幸い右会社に就職することができたため、現在、事故なかりし場合に比し収入の減少は認められないのであるが、ひるがえつて一審原告の後遺症について考えると、それは単なる心因性のものではなく器質的な身体的機能の喪失を伴つているものであり、その程度も八級(一般的には労働能力の四五パーセント喪失と評価される。)と認定されるものであつて到底軽微なものとはいい難く、現にその職種からして、一審原告が得ている前記収益については日々健全な者以上の忍耐と努力を払つているために得た部分の存すること、それにもかかわらずなお健全な同僚に比し相応の能力低下があり、能率給上一定の減収も存することは想像に難くないところである。

したがつて、逸失利益が皆無であるという一審被告の主張は採用することができない。

しかし、その逸失利益算定方法については、本件のように事故後の収入が事故なかりせば得べからし利益に比し減少していないばかりか、かえつて相当程度増収となつている場合について、一審原告主張のようにいわゆる労働能力喪失率に全面的に依拠して算定することは右のような動かし難い現実を無視する結果となり、損害賠償制度の理念が現実に蒙つた損害の填補にあることに照らしても相当でない(この点について、一審原告は、かく解するときは、性怠惰で勤労意欲のない者の方が努力して就労した者より損害賠償請求上利益となり公正を欠く旨主張し、右主張は結果としては一応首肯できる点も存するのであるが、他面、右の主張は労働は専ら苦痛であることのみを前提としていると受け取れないではないから、右のような側面だけを強調して、直ちに前記判示の見解を否定するのは相当でないと考える。)。

そこで更に進んで、右逸失利益の算定方法について検討するに、前掲乙第七号証の一、三によれば、一審原告は現在住友特殊金属において一般技能職三級、職務区分一一級の取扱いを受けているところ、例えば昭和六〇年六月の受給賞与額は二四万二九〇〇円であつたのに対し、他の同職同級の者の受給額はおおむね三〇万円から二六万五〇〇〇円であつたことが認められる(なお、一審原告はこの点に関連して当審で他の者の六ないし七割ていどしか働けない旨供述しているが、右は主観的な心情を吐露したものと考えられるので、右数値をにわかに採用することはできない。)。

そして、以上の事実によれば、一審原告の前記賞与受給額二四万二九〇〇円は他の同種同級の者のほぼ中間値受給額二八万二五〇〇円に比し一四パーセント少ないことが計算上明らかで、これは一応一審原告の身体障害による結果であると推認されるところである。しかし、右に表れた減収率は先に認定したような一審原告の特段の忍耐と努力を考慮したものではないから、いまこの点や将来身体的障害のゆえに昇進上同僚に比べ不利益を蒙る蓋然性も否定しえないこと等をも併せ考慮し、かつ後遺症の程度等も彼此総合すると、一審原告の本件事故による喪失利益率は、結局、二〇パーセントであると解するのが相当であると考える。また、一審原告の年収は現実に則し二七六万八〇〇〇円(前記認定の住友特殊金属での月収のほぼ中間値額一七万三〇〇〇円の一二倍と賞与分四カ月分の合計)であると解する。そうすると、一審原告の年間逸失利益額は計算上六九万二〇〇〇円となる(右現実の年収二七六万八〇〇〇円が通常人の収入の八〇パーセントであることから換算した二〇パーセント相当額)。そして、前記認定事実によれば、一審原告は住友特殊金属に就職した昭和五九年一一月一日から六〇才の定年に至るまでほぼ三八年の間(端数切り上げ)毎年右六九万二〇〇〇円を逸失する蓋然性があると考えられるからそのホフマン方式による中間利息を控除した額は一四五一万一二四〇円となり(692,000円×20.97=14,511,240円)、本件においては以上のほか他に合理的な算定方式は見出し難い。

そうすると、(B)(6)の将来の逸失利益相当損害金は合計一五一三万一六一〇円となる。

4次に(C)(7)慰籍料額については、当裁判所も原判決の認定判断した七一〇万円を相当と考える(原判決一一枚目表七行目から一一行目まで)。

5そして、以上によれば(A)の(1)ないし(4)、(B)の(5)(6)、(C)の(7)の各項目の損害合計は二六八七万三二一〇円となるところ、本件交通事故の発生については一審原告にも不注意があつたことが明らかで、右不注意は損害額算定上過失相殺に供するのが相当であり、その割合は当裁判所もその二〇パーセントを減ずべきであると考えるものであつて、その理由とするところは原判決が詳細に説示するとおりであるからこれをここに引用する(原判決一一枚目表末行から同一三枚目裏三行目まで)。

そうすると、以上の損害項目にかかる一審原告の損害額は計算上二一四九万八五六八円となる。

6しかるところ、一審原告がすでに本件事故に関し三〇三万三四四〇円の填補を受けたことは当事者間に争いがないから、これを前記損害額から控除すると一八四六万五一二八円となる。

7また、以上の損害額のほか本件事案の内容、審理経過等に照らすと、一審原告は本訴提起につき法律専門家である弁護士に委任するほかなかつたことが認められ、その費用一八〇万円は本件交通事故によつて生じた相当損害金であると認めるべきである(以上の損害金合計二〇二六万五一二八円)。

第三結論

よつて、一審原告の一審被告に対する本訴請求は損害金二〇二六万五一二八円とこれに対する不法行為の日である昭和五七年五月二日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、これと一部異なる趣旨の原判決は一審原告の控訴に基づきこれを変更し、一審被告の控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条を適用し、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官今富 滋 裁判官畑 郁夫 裁判官遠藤賢治)

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